RADWIMPSのHINOMARUと是枝監督は同じ構造なのかなと思う話
RADWIMPSのHINOMARUが愛国的だとか、是枝監督の万引き家族が補助金貰っているのに文化庁からの祝辞は固辞したという話。
騒動の発端は違うけど、批判の本質って同じだと思う。
双方とも、批判している人たちは、自分たちの思想フィルターをその作品や楽曲に対してかけているだけのようにしか見えない。
RADWIMPSのHINOMARUについての話
RADの歌を愛国的に感じて、軍靴の足音が聞こえる的な想像力豊か過ぎる話だし、だいたい批判している人たちの世代がそもそもそんなに軍歌にさらされて戦争賛美をしていた世代なのかといことを考えれば、戦後70年以上経っていて、軍歌を愛国賛歌として聴いていた世代かと言えばそうではなく、後付でそうした思想を自分の思想にマッチさせてすりあわせて、今の自分の持っている思想から外れると批判の対象としているだけのような気がする。
そもそも、HINOMARU自体はカタルシストというW杯とのタイアップ楽曲の
カップリング曲で、単体というよりもW杯という世界観を表すために国の威信とか、勝負といった要素を想定した楽曲のストーリーの一つなわけで、それを考えれば国歌である君が代からインスパイアを受けて、詩を書いているとすれば、必然的にああした詩になるのは当たり前ではないのだろうか?
それを無理矢理、愛国賛歌ではなく軍歌を思い出すといった軍歌を知らない世代の人が批判をしたくてネタとしてそうしたねじ曲がった切り取りをしているだけなんだと思う。
イデオロギー的に、あれを聴いて軍歌だとかいう風に聴いている人は本当に軍歌を聴いた事のある世代なのか謎である。
特攻を想起させるとか、本当にそうした特攻に行った人たちの思いを知っているのか、謎の意見であり
RADWIMPSの『HINOMARU』に抗議し、廃盤と2度と歌わない事を求めるライブ会場前行動
6月26日(火)17時~夜まで@神戸ワールド記念ホール前
集まろう!
絶対に許されない歌を出してしまいました。バンドとレコード会社は表明して下さい。ファンの方々は求めて下さい。それが解決策です。 pic.twitter.com/HUHUfnmv2t— HINOMARUに抗議するライブ会場前アクション (@rad20186) June 14, 2018
こんなサイテーな活動をしている人もいる。
さらには、朝日新聞は、戦前はその軍歌にの乗っかり自分たちが一番戦争を賛美していた側で、戦後は戦争反対を社是にしているわけで、お題目として政治権力の監視を自分たちの使命としているみたいだけど、それがいつしかねじ曲がって何でも反対、政府はおかしい権力は暴走するものそれを止め得るのは自分たちだけと勘違いをしている様な気がしてならない。
是枝監督の万引き家族で文化庁の祝辞を固辞したって話
これは、カンヌで賞をとって凱旋公開と言う事になって映画のプロモーションとしては海外の賞を取った事で十分ニュース性があったわけで、そこに文化庁からの祝辞を固辞したということでさらにニュース性が高まって、今度は補助金を貰っているくせに何事かとなった。
そもそも、補助金は是枝監督が自分で申請して貰ったと言うよりも映画を作る組織委員会が、申請して貰っているではないのか?
それで、是枝監督が作品が賞を受賞したから後出しで、祝辞を出して来た文化庁に後からそういったスリよりは好まないのでいりませんと言っただけで、思想警察のごとく、コレを批判したわけだ。
補助金は、基本、文化的な制作にはつきものだし、補助金を貰って土建活動をしている人もいるし起業をしている人もいる。
多くの企業でも、雇用のための補助金だって受けて人を雇用しているし、子育て支援だってそう基本、社会的な公共支援が補助金という形での付与なわけだから、いらないではなく、補助金を出してお国からの偉いね~という猫なで声をそうした国民が受ける必要はあるのか?という根本を勘違いしている。
国を株式会社として見立てれば、政府が経営をしている経営者層で官僚機構が事務全般、では、国民はなにかと言えばその政府に税金という形で資金を提供している出資者なわけだから、還付という形で配当を受けたり補助金という形での補助金を受ける事に何の問題があるのか理解不能なんだよね。
基本、どちらの陣営もそうなんだけど、批判をしている人は自分の考えが正しくて、相手の考えが間違っているので、取り締まるべきという考えになっているのだと思う。
でも、そうではなく、先日のW杯を見て日本がコロンビアに勝利をしたように、国家代表として戦って、強豪国に勝利する姿は純粋にうれしいし、負けたとしても戦い抜く姿は美しい。
まして、戦前の予想では負けると言う意見の方が多かった相手に、運も味方につけて勝利を収めたその姿には感動を覚えただろう。
そこに、RADのHINOMARUという日本の良さをRADの表現で歌う詩はよくにあっているし、大して是枝監督の作品だって素晴らしい役者の演技と貧困という社会問題を切り取って見せる映画の役割を見事に果たしている。
だから、興業だって順調だし、多くの人が見ている作品になっている。
映画という作品だって、多くの人の目に触れなければその価値を認識してもらえないわけで、そこに文化庁の祝辞が役立つかと言えば役立たないわけで、それを固辞したところで、なにも興業の成否は変わらないだろう。
文化庁推薦作品とついて公開されている作品って案外外れも多いしね。(※良い作品は多いけど、興行的に成功した作品が少ないと言う意味で)自分のイデオロギーを持って批難して悦に入っている人は最低だと思うし、補助金なんてなくてもよく、ほしければクラウドファンディングでなんて意見もあるわけだけど、それだって何でどちらか片方でなければならないのか?
本来、アイデアを出すとすれば、両方やって、より多くの人に見て貰う機会を増やすというような意見なら開明的だけど、補助金を否定してクラファンだけを是とするなんて馬鹿げている。
純粋に、思想などなく日本は良い国 サッカーの日本代表を応援しよう、是枝監督の作品も良い作品と素直に言えば良いわけだし、日本映画駄目論を言ったり、RADの詩は底の浅い考えで書かれているなんって意見こそ、底が浅い批判であり、そうした批判的意見はなにも生まないなと思った。