Netflixは日本のアニメをどう変えるのか?作品とクリエイターのグローバル化の行方
というコラムがIGNにて書かれていたので熟読。
ほ~とうなる内容だった。
[blogcard url=https://jp.ign.com/netflix/16193/feature/netflix]
作り手に取って見るとどうなのか?
確かに、ポリゴンピクチャアズなどはほぼNetFlix専属のような形で制作のパイプラインを組んでいる。
また、動画って面でも手書きのアニメーションや手書き風でもいいのだけど、そうした表現よりCGを手書きに寄せるアニメーションという方が注目されている。
これは何故かと言えば、工賃の違いもあるのかも。
アニメーションのカット1点いくらという請負よりもCGのワンシーンの請負の方が工賃が高い。
これは、作り手が少ない事もあり、そうした人ならば言語関係なく世界で受けてくれるクリエイターがいたりする。
庵野さんがドワンゴと福岡にスタジオを作ったけどその理由が福岡の人達でCGの描き手がいるがそういった人は東京に来てくれないと言う事から、福岡に出向いて会社を作ってしまえばいいと言う発想。
まあ、アニメのクリエイターって打ち合わせという事で管理系の人は確かに東京にいることでのメリットはあるけど、単に各と言う事だけならば地方で活動した方がいい。
事実、地方組の制作会社だって力を付けているし、東京の近郊にいる必要ってあるのか?という事を考えたら、人件費や家賃など含めても地方に実はメリットが大きいのだと思う。
東京で10万出しても30㎡くらいとしても、地方ならそれで50㎡借りられるわけで、衣食住も足りる。
文化的にも地方の大きな都市ならそうした差を大きく感じる程の事もないだろうし、災害にも強い体制を作る事が出来るのもメリットだろう。
そうした意味で技術の継承としては、地方に技能を分散化して何処でも仕事を受注できて、納品も容易であるという体制を構築しやすいのが日本という場所の特徴とも言える。
そして仕事自体は海外向けと言う事で、CGを中心に考えたらNetFlix系の仕事を受けられればそれで食べていける気がする。
そっちの方が予算は潤沢だしね。
んで、従来のラインとこうした新しいラインが今はシュリンクしている時代だから、制作サイドは余計に案件が混乱しているし、NetFlixのもくろみ通り、そのラインが成功すれば従来ラインはある一定の枠を残して減っていくだろう。
だって、同じ制作予算であっても円盤やテレビ放映を前提にしなければその分の広告予算が浮くわけで、制作費の40%と言われている広告予算をカット出来るというもくろみもあるだろう。
そうした浮いたお金を制作委員会が現場に反映出来ればクリエイターの能力も安定的に発揮出来るだろうし、好循環を生むという可能性が見えてくる。
よく、国になんとかしろとった事で国も問題といった事を言ったりもするけど、実際には民間のことなのでそうした待遇の是正圧力をかけることで自浄作用が働くのが資本主義のよいところなのだから、問題提起と適度な圧力をかけてほしいものだ。
正直コレまでの数本は微妙だった
BLAME!はポリゴンらしくて良かったと思うけど、個人的所感として
- 悪魔城ドラキュラ―キャッスルヴァニア―
- キャノン・バスターズ
の2作品は微妙だった。
まあ、キャッスルバニアは中途半端な作品だったから仕方ないのかも知れないけど、キャノンは完全にアメリカのカートゥーン系だったからね。
カートゥーンとアニメは違うし、NetFlixの作ろうとしているANIMEも違う気がする。
そうした意味で、海外向けのアニメをANIMEとして考えて日本向けとは違った表現を取り入れた作品が展開されていくのかも。
緻密な積み上げよりも大味重視というか。
まあ、そういった意味では流通すらしていなかった流通経路が世界と制作現場がダイレクトにつながれた幸運も有るのだから、それを活かして欲しい。
Huluは完全にガラパゴ路線を邁進する事になるのだろうから、そうした新機軸ラインを作る事は叶わないと言う事を考えれば、NetFlixの方がプレゼンスは高まって行くのかも。