昔から参考にしている(最近はあまり見てないが)ホームページを作る人のネタ帳の投稿で「ちょっとね」と思ってしまうエントリーがあったので私も意見投稿。
ホームページを作る人のネタ帳の投稿で冒頭に投稿されている内容
グラフを載せているのですが
元のグラフはこちら
[blogcard url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1503/20/news090.html]
単純にLINEの年齢層のティーンでの使用率を見ると以下のマイナビさん参照データがわかりやすいかな
数は44人と少ないけど、まあ、上記のデータも同じスマホばかり見ている時間が増えればその分勉強をしている時間が減るのだから当たり前。
総じて長時間使う人の場合は、学力低下するのは当然の結果でしょう。
だって、勉強してないのだから理解するわけがなし知らない知識には回答しようがない。
その点は同じ意見。
栃木壬生の子供にスマホ自体を持たせないようにしようという意見
[blogcard url=https://www.kyobun.co.jp/news/20160707_04/]
別に自治体が取り決めて全体でスマホを取り上げればいいって話でもないし、LINEやスマホが原因なの?
メールの時にはなかったのか?
それはポケベルの時にもあったことだろうし、アナログなら不幸の手紙レベルでもある。
別にスマホが根本原因ではなく、ペアレンタルコードでフィルタリングをかけて子供に見せていいレベルを親がコントロールをすればいい。
アプリについても勝手にインストールできてしまうiPhoneより(iPhoneは年齢制限はSafariの利用停止や年齢によるフィルタリングで年齢制限がないアプリはインストールし放題だしね。ゲームなんておおむね制限ないのでは?)
アプリのインストール自体をサブアカウントだと許諾性にするようにできるAndroidなど持たせる親自体が知識レベルを高める必要があり、それを総じて禁止する方がいいという乱暴なルール作りが果たしていいのかが疑問。
昔(今でもあるのかな?)家で見ることができるテレビ番組はNHKだけで、家事も炊事洗濯をしたことがないまま学生生活をしてしまって、お米の研ぎ方も知らなくて洗剤で洗ってしまうという笑い話。
※まあ、昨今の綺麗好きの過剰な人は購入した野菜なども含めて石けんで洗ってしまうという脳タリンの人がいたりする。
不思議である。
私が問題としているエントリー
[blogcard url=https://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-1328.html]
- コミュニケーションと言っても良い方向のものだけではない
- 暇という子供たちのクリエイティブな時間がなくなる
- 1日1回はさわらないと不安に
見出しだけを抜いて詳細は書きませんが
まず、コミュニケーションと言っても良い方向のものだけではない
この部分はこれって、LINEってことにしていますが、昔というか携帯が登場して(PHSもふくめれば)もう10年以上経過しているわけでその前のポケベルとかもそうだけど(重なってるけど普及年を50%以上としたらその前だから)別にLINEが原因でも携帯が登場して個人に普及仕切っている現在で、これを規制しても情弱を生むだけのような気がする。
なら、親がきちんと学んで家庭教育で指導をすべきで、それを自治体がすべきではない。
官製手動のそうした意見やパラノイヤーのような保守的な保護主義な人たちは規制して見ないことにすれば勉強するって勘違いするけど、そうではなく、友達同士のコミュニケーションより大事なものがあることを親が子供に懇切丁寧に教えるべき何だと思う。
それができないなら、スマホは持たせるべきではない。
それは子供に責任があって勉強しなくなるからという理由ではなく、親のその能力がないからとするべき。
この根源論って大事で、子供にはいつの時代も責任はなくて、いじめや勉強しないといったことは、すべて親の責任なのだと私は思います。
学校は確かに、義務教育ではあるけど必要最低限の勉強やモラルを学ぶ場であるけど、その環境から受けた感性をはぐくむのは家庭であって家庭の教育がなされなければどんな規制やモラルを叫ぶ声も詭弁でしかないと思います。
世の中は平等ではないので、そうした家庭教育ができない家庭はそうした資格がないだけ。
子供には責任はないけど、ずれている。問題の論点をずらしているとしか思えない。
そして、スマホやLINEをやらないもしくはできない、さらには知らない環境でも成人ないし高校生くらいになればそうしたものを自発的に持つようになり使うようになる。
だから、それをなくしても勉強をするかと言われてもいないとしかいえない。
次に「暇という子供たちのクリエイティブな時間がなくなる」という部分
LINE起点にしてその中のコンテンツであるゲームをしているかもしれないし、漫画を読んでいるかもしれないし、ニュースを見ているかもしれない。
LINEでできることがチャットと電話だけだと思っているとは思えないけど、このあたりの言説もずれている感が半端ない。
そもそも「これうけるurl」「これもいいよurl」「それヤバイよね」「これやばい」「あの子最近ちょっとうざい」「ねー」「ねむい」「おやすみ」とかいうコミュニケーションで成績になにかプラスになる要素とかありません。
そもそも、この程度のコミュニケーションはメールでもショートメッセージでも行われていた。
その観点がないのはなぜ?
この短いコミュニケーションはメールからLINEに置き換わっただけでしょ。
最後に「1日1回はさわらないと不安に」これ
これも携帯が普及してからずっと言われていること。
それでも別に社会が機能不全を起こしている訳ではないし、よく昔はそうしたことはメールでは言わなかった。せめて電話をすべきと文句を言っている人がいるけど、馬鹿なのかな?と思う。
口頭でのコミュニケーションが書面に置き換わって、それがメールになり、LINEになっただけ。
IT企業なのに、出退勤を未だにタイムカードでやらないと出退勤をごまかすからとか言う人もいるけど、そんな人は化石なんだと思う。
チャットでおはよう言って出勤になる時代に、その前でだってCloudのサイボーズなどでオンラインの出退勤をカウントできる機能だってある。
そもそも会社が出退勤を管理しないと仕事をしないという社員自体が問題。
そんなやつは邪魔で害悪なだけだから何もしなくても仕事をする。
もしくは与えられたノルマは果たしてくれる人を雇うべきなんだと思います。
そうした意味でな何で、そこまでLINEを目の敵にするのか理解できなかったので、そのあたりを教えてほしい。
子供なんて馬鹿なんだから、無知ってだけで人生潰されてしまう子をみるといたたまれなくなります。
ISISの真似した動画をネットに上げた高校生がいて、それをFacebook利用してるいい大人たちが、さもドヤ顔でこんな奴は死んだ方がいいだとか写真をわざわざシェアして晒し、それに対して多くの人が賛同して、こういうのは社会に出すなだの、やっていいことと悪いこともわからんのかって言うじゃない。わかるけど、小学校からそういう動画をネットにアップしたらどうなるのかって教えてもらってたら、また違う結果になったんじゃないのかな。ドヤ顔でぶっ叩いてるいい年したおっさんやおばさんが何も言わないで来た結果なんじゃないのかなぁと。
これって、授業でリテラシーの授業でやっている学校はやっているけど学校にだけ任せているのは親の怠慢であり、本来学業だけを教えておくべきなのにリテラシーや新しい分野の学習を指導しなければいけないという重責を教師に負わせていいのだろうか?
こうした集中砲火浴びる炎上をするのは、子供の特権であり幼い誤りである。
だから、これを私はなくさない方がいい。と思う。
こうした悪例を積み上げることや定期的に出てニュースになるくらいでちょうどいいと思う。
SNSは国に容認されるものではなく、単にネットを活用した一サービスでしかない訳で、それを規制するべきでもないし、
そもそも持たせないという選択肢があまりにも狭き門
こう言っているわりに
部活の連絡がスマホグループでくる。アホか?
スマホ持ってない人だけ朝練がなくなったことを知らず、早めの登校。部活の試合の送り迎えは、教師関与せず。
と批判したかと思うと
もちろん、子供たちは子供たちの言い分もある。そしてそれは決して間違っているものではない。
正しいものの反対もまた正しい。LINEによって救われた子もいる。
だからそれが必要だという子もいるのは何年もネットをみてれば入ってくる情報だ。子供たちにもスマホを持つ理由はあるし、そんなものを勝手に奪うなというのもわかるんだけど、少なくともそのために色々な所で苦労しているのは目に見えてわかる。
なんだか言ったり来たりでどっちなの?って感じです。
LINEを3週間禁止って部分とか
LINEを3週間禁止にした下りも別にLINEというより携帯・スマホって置き換えた方がまだ説得力ある。
LINEを禁止にしても他にコミュニケーションを取るツールなんていくらでもある訳で地域やコミュ全体で禁止されたら特定アプリなら違うものに置き換わるだけ。
だから、こうした禁止に賛成をするならLINEというよりも携帯・スマホでしょ。
私は、携帯もスマホもLINEも禁止することなく、子供は子供で傷つけばいいと思います。
自分だって子供のころ、言われなき言葉で暴力で傷つきました。
けど、それが糧にもなっているし糧にできないのは、個としての力がなさ過ぎるのでそれをつけるのは、学校教育ではなく家庭教育でしかないと思います。
余談
しかし、コミュニケーションという言葉を自分も安易には使うけど、こうしたコミュニケーションをきちんと座学と実学で学んで実践する学問が日本では教育カリキュラムにないのは悲しいな。
海外だと、そのあたりは演劇なのでしょうけど。
ダンス含めて演劇など体を使って文学を学び人の心を学ぶ勉強も必要だと思います。