BuzzFeedの記事から参照してみた事件の判決。

今日は清原の裁判もあってマスコミの傍聴券取得の代行行列があったみたいだけど、興味深い判決。

野外イベントの運営者は、落雷事故にどこまで責任を負うべきか。EXILEのコンサート会場付近で雷に打たれて亡くなった岩永牧子さん(当時22)の遺族が、イベントを運営していたエイベックス・ライヴ・クリエイティヴとミューベンツ・ジャパンに対して、計約8200万円の損害賠償を求めていた裁判で、大阪地裁(長谷部幸弥裁判長)は5月16日、原告の請求を棄却した。

判決は、「野外における落雷に対する回避措置は、もっぱら各人が自己の責任で行うべきもの」と指摘。今回、運営側の注意義務違反はなかったなどとして、請求を認めなかった。

 

場所はこの辺りみたい

下の第2陸上競技場の辺りの植え込みが現場らしい

落雷事故の経緯
落雷事故に至る経緯は、どのようなものだったのか。
大阪市・長居公園内にあるスタジアムで2012年8月18日午後、EXILEら人気アーティストが出演するコンサート「a-nation」が開かれていた。
岩永牧子さんはコンサートのために福岡県からやってきて、午後2時過ぎに長居公園内で落雷にあった。岩永さんは病院に運ばれたが、翌日亡くなった。一緒にいた友人もこの落雷で亡くなった。

と記事にあるけど

事故は2回合ったみたい

落雷落下地点

やっぱり写真とか地図で見ないとわかりにくい。判決は以下の内容

地裁「落雷を具体的に予見できたわけではない」

地裁判決は次のように判断し、運営側の責任を否定した。

・落雷事故の発生を「具体的に予見できたとまでは認められない」

・落雷事故の現場は、コンサート会場から距離があった。

・会場への導線があったからといって直ちに落雷から保護すべき義務を負っていたとは認められない。

・牧子さんに対して、主催者側が避難誘導をすることが、「容易かつ高度に期待可能であったとは認められない」

まあ、もっともですよね。

自然現象は確率の問題で、落雷が起こる可能性が高いけど、それが確実に起こるなんて事は誰にも予見出来ないわけで予見出来るとする判決が出る方が常軌をいっしている。

会場への導線については、導線作っていたとしても誘導を係員を置いてしていたわけでもないので、こっちが順路ですよと言うくらいのものダと思います。

それをもって会場である公園全体をイベント主催者が管理維持しなくてはいけないのであれば、こうした屋外イベントなんてどこで開催しても落雷の危険があるから、雨降ったら、雨降りそうだから開催出来ませんといった判断になってしまう。

まだ、上告するかわからないけど

原告代理人「教訓がふまえられていない判決」

原告側代理人の佐藤健宗弁護士は判決後に記者会見し、「とうてい承服しがたい判決」と述べた。

「あの瞬間、あの場所に雷が落ちることを予想するのは不可能だ。『具体的に』というハードルを設けてしまうと、極めてレアな場合にしか予見可能性が認められなくなる」

同じく原告側代理人の辰巳裕規弁護士は、サッカー大会の主催者に落雷事故発生の責任が認められた最高裁判決に言及し、「過去に積み重ねられた落雷事故の教訓がふまえられておらず、残念だ」と、判決を批判した。

と言っても、サッカーのはスタジアムのグラウンド内の落雷はよける方法などについて、限定できるのでその対策を取りなさいって話はできるけど、今回の2回落雷はイベントで会場である公園全体での主催者責任を訴えているけど、そんなもの迄追わせてしまうと大事なことなので2回言うと屋外イベントは開催出来なくなる。

自己責任云々というよりも自然災害で発生した事故について、会社や組織に責任を負えと言う裁判については、抑制をした方が良いと思います。

公害など明らかな自然以外の害においては、公は訴えても良いだろうけど、落雷や地震などの責任論を負えというのは間違い。

比肩して言えば、フクイチの原発の場合は、地震では問題とならないけどその後の問題がある。

対応はあくまで人がしているもので、電源を失った原発は自然災害ではなく人災で起こった事故というのは明らかダと思うし、自然を相手取って裁判をするのは天につばする行為であり、意味がわからない行為なんだと思います。

まあ、娘さんを失ってしまった事故に対して悲しみを持っているのは理解するにしても献花台を未だに設置をし続けるとか単に不法占拠だし、1人や少数の意見で、そうした個人的行為を許してしまえば、事故のあった道路や現場はさまざまな場所にあるわけだから町中に至る所に献花台だらけになってしまう。

個人的にその場所に献花をするのは問題ないけど、それを記念碑の様にして設置したり、事故の教訓を呼びかけるようなもモニュメントとしたいと言った事は慎まなくてはいけないのだと思う。

だって、それはどこまで行っても公ではなく個人の感情でしかないから。

個人の意思は公の場には通じてはいけない。

これは差別でなく、区別であり冷静な判断が必要な話で、裁判所にあきらかに軍配上がるだろうな。

記事の出元も、NPOというジャーナリスト集団なので報道をしている内容についても偏りあるので余計に冷静に判断をして欲しい。

裁判という仕組みは、イデオロギーに属した判断をして欲しくはないのです。