2016年春の番組改編はかなり変わる?

はっと気付いたのですが、知らぬうちにもう4月。

今月にリリースできるように鋭意開発に取り組まないと。

忙しい毎日を過ごしていると曜日の感覚や、いろんなことに忙殺されるな。

そうした毎日を送っているとテレビは確実に見なくなる

だから、文春のこともほらっちょの事も基本はFacebookやTwitterのフィードに流れた事を見て、ニュースサイトなどで経緯を見るという感じ。

そうなってくると一次資料とか見ていないので事の本質見てないのかもって気もする。

Facebookとかに流れてくる真実はどうかって話は大抵、作り話か疑似科学がほとんどなんだよな。

右も左もそうで、基本自分の信じたい事しか信じていない。

それはいい。

個人の思想信条だから。

でも、単なるBlogで真実とか書いてある内容を100%の事実って信じて、こんな事実あったのですね。とかコメントしている人のポストを見ると気色が悪いというかなぜ?そんな風に醜聞を拡散しているのか疑問に思ってしまう。

 

その事実って内容の真実を知るには基本、一次資料を当たって、何から索引されている内容なのか?

そのような根拠とかをきちんと調べないとわからない部分もある。

で、しらべてわかないモノは事実としてはとらえないで、判定を留保しておく必要がある。

 

だから、誰かが勝手にBlogで取り上げている内容については、その出典を明記していないモノについては、嘘か、事実を曲げて伝えている。

また、海外のサイトであっても自動翻訳で問題ない。読解力と比較する力があれば内容を読み解く事も可能だし、テレビで評論家と称する専門家かコメンテーターという人達が如何にバカかわかる。

人の受け売りしか語らない人は大抵失格というか、大学の先生に多いけど知識が古いとかね。

 

既得権を保持している側の発言は参考にしない。

特に、平和とか、反原発って言っている人の言うことは100%既得権に縛られている。反対する事で得られる被害者ビジネスだから。

まあ、国際的に考えても東アジア圏で言われている被害とか、女性差別ってこと、海外は進んでいて日本は遅れているという内容についてはすべて既得権だからね。

 

 

こうした意見もそう。

基本人間の本質は究極のなまけものを目指している側面と変化を望む考えと二律背反している。

だから、子ども、奥さんなどを大切にしたり、女性の社会進出、老後って話まで俯瞰して考えると、大切にしたいという気持ちもよくわかる。

 

翻って考えると、そうした守りたいモノや、持ち続けたい権利という気持ちは大切だけど色々な形があっていいはずなのに、自分の環境と違うことや収入格差などで他人をうらやんでしまうと再現がなくなってしまう。

でも、そうしたうらやむ気持ちが妬み、嫉みではなく何かをなすための原動力になるならプラスに作用する。

 

メディアは既得権の塊

10時台のニュースが大きく変わるし、キャスターなどで番組作りも変わってくるけど、基本陣容を見るとフジはバラエティニュースに振ったのかも知れないけど、これ今の世情を把握していない判断。

テレ朝は、古館さんが辞めてキャススターとしては、情熱をもってやっていると偏るって日本は基本電波法で公平性を担保しなくてはいけないと書いてあるわけだから、偏っていると認めてどうするのだろうか?

ニュースZEROについては、村尾さんは、基本、元財務官僚だから税率あげろって意見を代弁している。

NHKしかり。何らかの偏っている意見を代弁しているように見えてしまう。

だから、番組に顔であるキャスターを変更しても番組の傾向などは変わらないだろうと思う。

 

そうした意味では、メディアの背景やなぜ批判だけしかしないのか?

と言った意見の背景については新聞と結びついているからという側面が大きい。

 

困った話である。

ネットとメディアの融合って考え方も方向性は間違っているしブランディングという広告などはその商材などもクリエイティビティに優れているって広告大賞狙いのテレビCMなんて糞だからな。

効果ないし。

 

だから、案外新聞と結びついていないメディアであるMXとかの方が公平なメディアになり得るかもね。