新銀英伝 の見るペースがつかめない。第十三艦隊誕生を見て

前回の記事では、トリューニヒトが出てこなかった事を書いたけど、「第十三艦隊誕生」って副題なのに、その話自体は後半に触れられるくらい。

内容のレビューをばと思ったけど、ユリアンが登場して、第十三艦隊誕生するった話とジェシカ対トリューニヒトが凄く薄味なトリューニヒトな感じなお姿だったので、どうにも盛り上がらないって気がしてしまった。

これユリアンな。ユリアンは旧作よりイメージに近い気がする。

まあ、でも今回の話の肝はこの慰霊祭で、ジェシカがトリューニヒトに向かって、今、あなたはどこにいるって言葉。

そもそもトリューニヒトって、経歴などはジョージ・ブッシュ息子をイメージしているのかなという感じで、宗教団体、おっと、このときにはまだ、憂国騎士団か。

しかし、キャゼルヌがちょっと皮肉屋の面が強調されてしまった様相に変わったので、牧歌的なお父さんという姿は見られるのか?ユリアンに娘を嫁にやると言ってしまうような的な面もあったけど。新旧で一番イメージが違う。

同盟の人物相関図

前作を強烈に引き継いでいるのはシトレ校長くらいだな。

しかし、実は矢印がついているはずのヤンとジェシカは今回も雰囲気だけの秘めたる想いって感じなのね。

帝国側の人物相関図

この相関図でもアンネローゼ様のあかされなかった想いは、矢印ついてないしな。

まあ、見て雰囲気から想像してなという余地を残しているところも面白い。

人の想いって、すべて解説されたりハッキリされない方が良くて、テンプレートに何でもかんでも当てはめて、想いがあって、それが相手に伝わっているかどうかも明示されないというロマンスの方が、物語としての厚みがあるよねとなる。

話を戻すと、トリューニヒトの慰霊祭の言葉で、ジェシカが言った回答。

あなたはどこにいますか?

戦場にも行かないで戦いに向かった人の勇猛さをたたえるだけの人。

これって、オルトライトから見れば強烈な反政府の言葉。

ブッシュJRは戦争に行ったと言って後方勤務で、戦場には行かなかったのは有名。

それで、死んでしまった兵士の勇猛さを賛美する姿は事実を知っているモノからすれば、醜悪な弁に過ぎない。

ただ、コレを単純に戦争はいけない。争いは起こすべきではないという単純なお花畑論でかたづけてはいけないのが世界というもの。

実際の世界でも、戦争に類するモノは常に起こっていて、今でもイスラエルとかシリアではきな臭い争いの種があるし、北朝鮮だって、トランプとジョンウンの会談が決裂すれば、戦争になるかもしれない。

ただ、トランプはどうしてもノーベル平和賞がほしいらしいから本当に韓国と北の国境線にある、板門店に行って会談をしてしまうかもしれない。

そうなると、文在虎とジョンウンの2対1の交渉になる。

これ、トランプの望んでいるディールではない気がするのだけど良いのだろうか?

まあ、現代に置き換える事は中々難しい。

オルトレフトの界隈から見れば

対して、オルトレフトの界隈から見れば、あなたはどこにいますか?という言葉はそうだ!そうだ!という賛同する言葉に思うかもしれませんが、そうではなく、9条が日本の平和を守ってきたという嘘をのたまって、圧力なんて意味がない!対話こそ大事なんだ!と妄想を垂れ流す事になる。

基本、外交の交渉は、右手で握手をして左手にナイフを隠しもつという姿勢で、交渉するのが当たり前で、殴る武器とか相手を懲らしめる力で圧力をかけているから対話をすると言うのが大事なんだけど、これを対話だけとしてしまうと、誰が対話しましょうと言って話を聞くのか?

実例から考えてみると

だって、話そうと言っても相手から得るモノがないもしくは、相手が恐ろしくない場合は対話なんてしても無意味で、先だって、あった仕事のトラブルでも、そうだけど相手は理屈を色々言ってくるが、そうではなくこちらの武器などを徐々に見せて、相手の言っていることを論破して、こちらの論を飲ませると言うのがビジネスの交渉で、だから、提案もするし背忠庵もだすわけだ。

それをせずに、資料持って行くから見て話ししましょうなんて、時間の無駄にしか過ぎない。

薄い根拠に、きちんとしたプランとか、武器を携えて、他にはない魅力を見せる事と、その先にある理想を語ることが出来なければビジネスの交渉なんて無駄に過ぎないのです。

国家間の交渉では?

対して、国家間の交渉は、基本は軍事力を背景に相手を屈服させて現状を変更させる力を見せる事ができるか?

アメリカはそれこそ世界最強の軍隊を持っているから、世界でそうした交渉ができるわけで、日本としてもそうした面倒な相手から軍事力で何かをされるという恐れのない状態である安保同盟を結んでいる事がどれだけ世界からうらやましがられているか。

まあ、それは置いておいて、9条が平和を守ってきたわけでもなく、9条をうらやましがっている国があるかもしれないという朝日新聞の妄想はどうでも良いけれど、戦争を常に起こしてきたのは平和を訴えてきた人たちだ。

強権なオルトライトが機能して戦争を邁進させるのは常に戦争が起こった後で、そのオルトライトの人たちはオルトレフトの人たちに左右されてしまっているからだ。

実際、太平洋戦争の時には、官僚含めかなり左よりの人に差配されていたわけだし、官僚だってそうした人たちが多い。

そういった人たちがやれやれドンドンと言っていて、その言っている人がコントロールしてメディアである新聞がさらに戦争を駆り立てた結果、国費の90%が戦費という大変な状況になったわけだしね。

事ほど、左様に、オルトライトもオルトレフトも表裏一体で、戦争反対と戦争賛美も表裏一体。

実際には、戦争をしたいなんて言っている人なんて誰もいないし、日米安保も単なる日米同盟だから、そのバランスを是正するために、日本の軍備をもっと拡張しなくてはならないしね。

そして、自衛権にも集団的も個別的もなく、自衛権は自衛権だけだからね。

まあ、権利と言っても、戦前の日本帝国憲法は法人法で、戦後に作られた今の憲法は社会契約法だから、自然権として誰でも持っているとかのたまっている権利というものって何もなくて、権利として法律にも憲法にも認められるのは明文化されているものだけだから、自衛権はあり、今の明文化されている内容が日本の規定する自衛権だよって話だから、権利が~といった事を訴える人は、憲法に書いてある事以外は権利とは名ばかりの道徳ねで終わってしまう。

そういったいみでは、最低限で健康的な生活とか、戦力不保持とか、やたら平等って書いてあるのもおかしい訳ですが、まあ、そうした意味で、憲法に自衛隊を書くことの意味は大きいなとも思う。

話は大分またそれてしまったけど、トリューニヒトって政治家は、どうにも日本で言えば野党の痩躯といった幹事がする。

表面上は自民党ぽいけど、肝心なところでは自分は安全な場所に身を置いて、権力は手放さないといったことからもそう見える。

なんて取り留めのない事を 新銀英伝 第5話『第十三艦隊誕生』を見て思った。

永遠の夜のなかで