家賃減額裁判についてというブログを読んで

今回は以下のブログを見て関心したので、その内容の要約などを書いていこうと思う。

その内容とは賃貸住宅における家賃減額裁判についてです。

動画の内容と裁判の論種を要約すれば

この裁判をしている方は、立ち退き裁判を家主(はじめにその賃貸を借り受けた時とは違う新家主らしい)から立ち退きを要求されその要求を受け入れず、裁判で争い、勝訴したと言う事のようです。

その過程で、実は価値受けていた賃貸住宅の家賃が、他の部屋よりも高額だったと言う事が判明し、それを持って家賃減額裁判を起こしたと言う事のようです。

確かに、東京や都市で考えると過疎っている場所ではただ同然や、果ては限界集落では金を払ってでも人に来て欲しいというような地域もあれるし、東京や大阪といった都市では、人口は自然と増え続けるし(大阪は減ったりしたけど)家賃も歩留まりして下がらないと言う現状がある。

こうした現実に対して、景気は後退して給与は上がらず、生活費や税金などを差し引いて家賃を払ってしまうと困窮してしまう。そして、家賃が払えなければホームレス生活を送らなくてはならいと言った事を考えそれに対して家賃は30年前のバブル期からほとんど変動がないと言う事に疑問を持ったと言う事が根拠の訴訟のよう。

面白い理由で訴訟を起こしている。

確かに賃貸住宅の入居時が新築であっても2年で更新としても経年劣化でその建物はその分古くなるわけですが、その更新時に変わらぬ家賃で借り受ける理由はないし、何度か更新を続けたとしてその経過事に一定の割合で家賃というものは安くなっていくべきというのは経済的論においても正しいのだと思います。

ただし、事は「不動産」という問題があります。

不動というのは動かない財産であると言う事で、それは動かせないという事でもあるけど、そこに有り続けて土地自体の価値の毀損にはならないのだと思う。

また、賃貸住宅と言うものはその土地の上に立っている建物の一室を借り受けるわけだから、建物の価値が経年で毀損されていくと言う事であればその賃料も下げるべきというのはわかる。

しかし、実際に土地の価値や建物の価値というのは相場というモノがあって、それは地主が連動して決定しているのではなく、土地の売買における価値で算定されているのだと思います。

つまり、上物の価値というのはある程度期間が過ぎれば¥0になりますが、土地の価格は相場に連動しているので下がらない。

んで、その上物の価値がゼロでも上物に済んでいる人には関係がなくて、土地の分の賃料として支払っていくべき何だと思う。

経済合理性というものがある

う~ん、ちょっと自分で何を言っているのかわからなくなったけど、建物の価値はゼロになっても相場の土地代金が大きく変動するものではないので、その上に乗っている部屋の賃料も大きく変動するモノではないと言う事なのではないのだろうか?

つまり、賃貸住宅というモノは部屋を借りるという形態を取ってはいるけれど、実際には土地の一部を借りていると言う事と同義なんだと思う。

確かに、本件の訴訟を起こしているブログの筆者のような論がまかり通れば、いいのでしょうけど、土地の価値という風に言わないで、部屋の価値、建物の価値で争っても不利なような気がします。

まあ、家賃というモノは長い間住んで貰えば安くしていく事の方が合理性はあるし、税金の節税という恩恵も受けている事を踏まえるとこの訴訟に勝って良い判例になっていただければと思います。

確かに、不動産鑑定士家主の連携や

動産鑑定書とは、「不動産鑑定士」という資格を持つ人が書くもので、裁判所で依頼すると100万円前後かかるものです。同じ場所にあるマンションに、広さも間取りも古さもほぼ同じ13軒の部屋があって、その中で私たちの部屋だけが飛びぬけて家賃が高いという、家主が裁判で出した証拠があっても、「賃料減額裁判」には何の意味も無く、100万円かかる不動産鑑定書を依頼しなければ、家賃は1円も安くならないのです。

と言った事も知らなかったので、法律の不備といえるでしょう。

しかし、世の中は、正義と自分で思っても相手から見れば悪であったり、屁理屈になってしまうだろう。

そして、この訴訟に勝って晴れて、世の中の家賃というモノが減額されてしまうと土地の値段も下がってしまい、また、その事を起因として他の物価なども下がってしまう、と言った経済の連動性というものがあるので、土地の値段は下がらない方が望ましいし、インフレになっていくよう仕向けている今の政府の施策や日銀の施策を考えると、無理ゲーのような気もする。

なんとなく、論理武装もしているし社会正義に立脚した意見ではあるけど、経済合理性には叶わないような気がします。

頑張って欲しいのだけどね。残念。

そして、このブログ主の意見には、その建物建てたりリフォームしたりするケースやメンテナンスと言った視点から、デザインというモノなど副次的なコストというモノが念頭にあるのかないのか、わからないが少なくともないように感じられてしまった。