物事の伝わり方って大事だけど、最近、ニュースも新聞もネットの記事も恣意的。
まあ、このブログだってそうですけどね。
この本が超有名だけど、たまたま、見た記事から買った本で
積ん読にしないためにゴールデンウィークだから読んでみた。
人前で話すということは、人が社会の中で成長していく過程で、誰もが通過しなければならない関門です。人はデキるようになると、人前に立たなければならないのです。仕事でも仕事外でも。(中略)優れた能力を持っていたとしても、人前で話すのが精一杯では、周囲から正しく評価されません。その能力自体が自信なく聞こえるからです。人は「何を話すか」ではなく、「どう話すか」で評価されるのです。(「はじめに」より)
別に自分を考えるとあがり症って事もないけど、人前で話す時って、自分の体験を考えるとあがると言うよりも人に言いたくないことを言わなくてはいけない場合には噛む。
伝えてもいい。伝えたいって場合は、何も考えなくてもいくらでも言葉って出てきます。
まあ、事前準備として話す為に内容をよく理解している必要があり、何がどうなって、こうなると言う事が理解できている場合と全く考えて無くてよくわからないまま話さなくてはいけない場合は、苦しいというか答えがみつかりません。
つまり、言葉が出てこないって事になる。
そう考えるとテレビなどのコメンテーターはよくもいけしゃあしゃあと自分の言説だけを言えるなと関心してしまう。
まあ、あれも自分の考えの及ぶ範囲内の話をしているだけなので、世間で言われているいわゆる正しい事を元に話をしてしまう。
地震の時のボランティアについても、現地にいって一刻も早く復興に寄与しなくてはいけない。
寄与する場合も、そのボランティア行為の際には現地の邪魔にならないように、食料も自給自足で、活動しなくてはいけない。
これ、すごく正しいけど、なんだか間違ってもいるように感じるのは自分だけだろうか?
まあ、話を元に戻せば、緊張って面を差し引いても伝える内容をきちんと把握して、自分の中で咀嚼が完了していればどんな事もすらすらと話せたりしますけど。
そんな中で注目した項目
滑舌がよくなる方法
話が聞き取りにくいと、すぐに「滑舌」のせいにする人が多いと著者は指摘します。しかし問題はそこではなく、大事なのは声の大きさだというのです。「聞き返される」「わからないといわれる」ことはほとんどが声のボリュームの問題なので、まずは「声を出すこと」からはじめるべきだといいます。
なんてことが書かれていましたが、
コレも自分の経験を考えるとまず、発声が出来てない人の滑舌は、口だけで話をしているから聞き取りにくい言葉になってしまうのだと思います。
言葉を話す基本の部分は、この言葉ならこの口形になっているべきと言うのはあるけれど、遠くの人にも近くの人にも伝わるように話す場合は、まず、発声が出来ていると言う事が大事なのだと思う。
何を置いても内容を把握すること
結論として言ってしまえば、噛まずに伝わる様に相手に話す、スピーチするって場合を考えれば伝わる様に腹から声を出して、伝えるべき内容を把握してそれを自分の中で如何にして咀嚼しているかが大事。
よくセミナー活動をしている人のスピーチを聞くと、どこに行っても話す内容は大体同じで、それをケースバイケースで組み立て直して話している場合と、反応を見て調整するって話し方がある。
この辺りの、自分なりの語りの形を持つって事が大事なんだと改めておもいました。
何得なくアメリカの大統領選を見ていて綺麗に装飾した言葉を吐く政治家より、投票をしてくれる支持者の意向の方が地の声なのでそれを無視してトランプを大統領候補にしないってことが起こるとめんどくさいし、トランプが大統領になるとなんとなくレーガン大統領みたくなるような気がする。
行動の原動力を怒りにしてしまうと道を誤ることが多いからヒラリーの方がいいのだろうな。
でもヒラリーになってもオバマみたくなってしまうだろうしな。困ったモノだ。
日本だって自民党に変わる政党ないし、よりマシな選択を考えると安倍総理しかないのではないだろうか。
なんて事も考えた。