原案と原作の違いを考えてみるとわかってくる「カメラを止めるな!」の問題

話題になっている カメラを止めるな! 

劇団の作品を映像化したものっぽいな~と思っていたら、解散した劇団の方が自分に原作権があるとの主張をしている。

事の顛末は、法廷であきらかになるのか、それともどこかで和解して収束するのか場外乱闘の様相もありちょっとしたニュースバリューになる可能性はあるなと。

週刊誌経由で事態を公表するに至ったようだけど、週刊誌だとその内容が扇状的になるという事も想定して自分の記事もNoteにアップしている。

経緯を見ると、初めは自分たちが劇団で公演していた作品が、日の目を見ることが出来て初めは素直に喜んでいたようだ。

劇団は、ある意味やり始めると終着駅のない旅に出るようなもので、なくなった劇団の本を引っ張り出してきて他の劇団が演じてヒットした作品というものもある。

これは、ヒットするタイミングという問題もあるのだろうと思う。

人気が出るタイミングは時の運という人も多いけど・・・

実際に、ヒットした作品というのは運という意味では、その作品を世に出せた事が運であり、ヒットするかどうかは別次元の話なんだよね。

ヒットしなければ、このような訴えるというような行動にも至らなかったし、映画のプロデューサー側もヒットさせるための下準備から広告宣伝活動や、どういったタイミングで公開を拡大していけるのかを収益分岐点を考えて、そのための対応を手を尽くしている。

そうした行動を取ってもヒットしない作品はしないし、ヒットと言わずそこそこ採算ベースにのって終わるという作品も多い。

映画の場合は、投資を受けて、それを元手に配給の館数で収益が決まるわけだから、作る予算が300万と言ってもそれは、総予算ではないということもわかる。

映画を劇場にかけるにしても期間を決めてその間、劇場で公開するわけだけど、それだって相手あってのもの。

そこには広告予算などもかかってくるわけで、実際にはもっと金はかかっているだろう。

結構、映画ウォッチャー系の方のリークで、この作品は面白いが公開前から聞こえてきていたことからも、そうした根回しの身内への関係者上映会などはおこなったのだろう。

それを見て、ラジオなどで論評をしてもらい評価を上げていく。

その論評も初めから、良いものが多かった事を見るとそうした根回しにもかなり追力していたのだろう。

そして、公開してみて、そうした根回しのブーストがあり、劇場が連日満員御礼、公開館数を増やして、そうした評判を受けて、さらに著名人の評価を拾って拡散をしてくことでヒットの輪を築いた、プロデューサーの戦略は素晴らしいものだ。

こうした事を皆がやっているのか??という部分もあるけど、やって成立する作品としない作品があり、「カメラを止めるな!」のような作品は口コミが一番の力になる。

作品を見た著名人の感想を聞いても、面白いけど内容が言えない。けど、キャストが素晴らしかったという評価や、笑えるという感想を伝えて余計に見てみたいを刺激している。

ちょっと眉をしかめる評伝としては、映画は著名な俳優が出ているから見に行くという事を言っている人もいたけど、実際にはそれは作品を作る側の安心の担保だったりする。

作品に面白さがきちんとあり、その作品で売るということで公開をするのであれば、そこに著名な俳優は不要である。

必要なのは、きちんと演じる力があれば事足りるわけで、そこにわざわざ著名人を当てて作品のバリューを保管すると言う事は、実はそうしないと投資資金が集まらないからだ。

映画に金を出すという人の選択の一つとして、○○ちゃんが出ているので投資してくれないか??というオファーがあると金を出してくれるタニマチというのは実は多い。

だから、不要な著名人や演技的に未熟であっても主役に抜擢されたりするわけだ。

それは、それ。制作サイドの理由で、そうした作り方もあっていいが日本の映画界はすべてがそれって感じですからね。

さて、制作サイドの内幕的な事を俯瞰して考えて見たけど、今回の元劇団主催の方が演出した作品である舞台『GHOST IN THE BOX!』が原作なのか原案なのかというお話。

原作と原案の定義

WIKIベースで申し訳ないがよくまとまった解説だったので、そのまま引用。

原作

原作(げんさく)とは、派生作品を生み出した元の作品を指す。

最初に小説(ライトノベル)で発表されたものが、映画、演劇、漫画、アニメ、ゲームなど複数のメディアに展開されたとすれば、小説版が「原作」となる。また小説が複数の言語に翻訳された場合には、元の言語で書かれているものが「原作」と呼ばれる。

漫画などで「設定や筋を考える者」と「それを作品として仕上げる者」が分業している場合、前者を「原作者」と呼ぶ。この時、作品の原型となるコンテ・筋書き的なものが「原作」にあたる。ただし、原作の内容を忠実に再現しようと努力している派生作品もあれば、ほとんど原作と別の内容になっているものもあり、後者のように「ほとんど原作と別の内容」になっている場合は「原案」または「翻案の元作品」のように扱われることがある。『水滸伝』と『南総里見八犬伝』の関係が、これにあたる。

また、原作者と作画者が分かれている漫画作品(オリジナルストーリーに限り、小説の漫画化は除く)が映像化された場合、アニメーションはもちろん、実写作品であっても、両方の名前が原作者としてクレジットされるのが通例である。両者の共同著作物の商業的成功に依拠して映像化されることが多いということ、ストーリーだけでなくイメージ、構図やコマ割も参照して演出されるケースも少なくないことなどが理由である。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E4%BD%9C

これが原作の要約ですね。

原案

原案(げんあん)とは、議論や検討にかけるために考案された最初の段階の案、アイディア。たたき台(叩き台)とも言われる。決定案、修正案等とは対を成す。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E6%A1%88

とWikiではなっている。

カメラを止めるな!で言えば、劇団主催の方のNoteを読む限り、初めは件の『GHOST IN THE BOX!』という作品をカメラをとめるなの監督である上田慎一郎さんとその劇団にいたBさんという方が組んで劇団で脚本を書いていたAさんとともにその『GHOST IN THE BOX!』(以下、GHOST)を映画化しようとしたが頓挫した。

その後、プロデューサーから上田慎一郎さんに映画の企画が持ち込まれ、GHOSTをたたき台にして「カメラを止めるな!に仕上げて劇場公開になったという経緯を元のNoteでは説明をしている。

このあたり、上田慎一郎さん側からのコメントがないのでなんともいえないけど、その後、監督とプロデューサーと話しあって、クレジットとして劇団名と本人の名前を原案としてクレジットするということで決着をしたという風に書かれている。

原作と表記してほしいというのが劇団主宰者さんの考えのようだけど、企画として頓挫したあと、内容を変えて他の作品のエッセンスも取り入れて作り上げた作品である「カメラを止めるな!」は既に別ものではないかなと言うのが私の見解。

ただ、それは個人見解だから、決着は裁判なりで点ければよいと思う。

問題としては、この訴え、

  1. 作品がヒットしたこと
  2. 当初は劇団主宰者さんは作品化を喜んでいた
  3. クレジットを入れる事を相手は拒否していない
  4. 原案ではという提案を受け入れている

この4点てまずいのではと言う気がする。

裁判をすれば、相手に妥協をして、自分の正当性をねじ曲げられて毀損されたなにかがあったのか?

そして、それはその何かがあれば相手ではなく自分が実現出来ていたのか?ということを考えて見るとどうにも裁判をしても分が悪い。

この劇団主宰者さんはどういった解決を求めているのかが、Noteを見てもハッキリしない。

劇団主宰者さんの原作と原案の考えは

  • 「原案」は作品を作るに当たって参考にしたアイデア
  • 「原作」はその作品を作るための元の作品

となっているけど、文頭の一番初めに

元ネタは、僕が2011年〜2014年までやっていた劇団PEACEの舞台「GHOST IN THE BOX!」です。

出典:https://note.mu/rookey/n/ne25a640b8cc7

と書いてしまっている。

つまり、元ネタ=「原案」は作品を作るに当たって参考にしたアイデアという事を自分で理解しているのかなと思う。

また、原作を「原作」はその作品を作るための元の作品としている点も違っていて、原作というならストーリーだけでなくイメージ、構図やコマ割も参照して演出されるという点も大事になってくるけれど、その演出の部分たシーンのカット割りなども類似しているのか?という事が裁判をやった場合に争点になってきそうな気もする。

そうなってくると著作権云々で争うと、先に書いている原案としてクレジットをしてよいと認めている段階で、原作ではないと劇団主宰者さんが認めてしまった点が強く働いてしまって、後から、それをくつがえすのはかなり苦しくなってしまう気がする。

本来的には、ある程度ヒットして、世で話題になった段でこうした訴えをするというのは本人としても苦しいところだろうし、やはり原作として認めてほしいという想いはあるのだろうから、本筋としては、作品を再上演して比較して貰うといった努力などは必要かもしれないし、そこから、この件を契機に劇団として売れる可能性だってある。

もっと、個人的にうがった見方をすると、そろそろプロモーションのネタが尽きてきたので、もう一花咲かせるためのブーストして炎上騒ぎをおこして係争ネタで作品に再注目を集めたいという目論見だったら嫌だなという邪推までしてしまうような話。

基本、物事は正面からだけではなく、そこに絡む裏側などや話の端緒に見える尻尾をつかまないと全体像は見えてこないけど、そんな裏側がないと良いなという風に思った次第。

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追記

公式からリリースが出ましたね。

http://kametome.net/1/post/2018/08/7320551.html

対立必至。

不正確な情報だけど、SNSのコメントで劇団主宰者さんがGHOSTを再演したいと言ったら、相手が再演を禁止したからこんな騒動に発展した的なことが書かれている人がいたけど、それは、劇団主宰者さんの記事には書いてなかったけどフラッシュに書いてあるのかな?

権利的には、再演を禁止する権利はカメラを止めるな側にはないから、禁止なんて出来ないけど、広告としてその作品も元ネタであるではなく原作である的なキャプションをつけようとしたからなのかも。

それだったらカメラを止めるな側の禁止というのは、上演を禁止ではなく、そうしたキャプションを使うなという事なのかもしれない。

どちらにしても、法廷闘争か和解勧告で決着な気がする。

追記2

フラッシュのWeb記事を読んだけど、

原案使用料を含め、今後想定される諸々の二次使用料を含めた買い取り額も、映画の大ヒットで得られる収益を考えると、明らかに違和感を覚える金額でしたし、舞台をもとにした作品にもかかわらず、映画を舞台にリメイクする権利なども、すべてあちらが有するという一方的なものでした

舞台は元ネタで、映画と舞台は別作品だからこれだけ見ればGHOSTの再演を妨げる内容ではない。

実際に提示された原案契約がGHOSTを含む包括的な内容なのかわからないけど、大ヒットから換算しての買取額ではなかったと。

それは当たり前で、でなければ制作費300万なんてキャッチコピーは打たないでしょ。

あくまでも300万を軸に算定されるべき値段が買い取り金額と言う事になる。

ヒットで多大な収益の恩恵にあずかるのはあくまでも出資をしているひとだけだ。

そんな事を言ってしまうと、「海猿」やら他で原作と映画の問題でもめた作品などはどうなったのか?

海猿の場合は、もう結審していて、あれは明らかに原作であるが原作者の意図をくみ取らない制作サイドが負けてすでに、メディアで配信が一切出来なくなっている。

ヒットを算定基準にしての要求は明らかにおかしいわけで、これを言い出したら枚挙に暇がない。

舞台で映像化してヒットする可能性のある戯曲は沢山あるが、それがヒットするかどうかは、事前にはわからない。

だから、原作の買取権って安いんだよね。

その当たり、作品を作る時のバジェット(予算)にすべて左右されてしまうのは致し方ない。

青色発光ダイオードとは違い、原案と記載は受け入れているから厳しいと思ってしまう。

ともかく裁判ですべては決まるんだろうね。

一定額で和解だろうけど、この劇団主宰者さんは映画や舞台には二度と関われないんだろうな。

まあ、いまはリーマンやっているみたいだから、良いのかも。