○○になるのはやめとか論って正しくないと思う今日この頃

アイドルになるのは辞めておけ

声優になるのは辞めておけ

芸人になるのは辞めておけ

漫画家になるのは辞めておけ

会社作るのは辞めておけ

そのビジネスモデルは辞めておけ

こうした辞めておけ論って、大抵、今現在進行形でその職種に就いている人がいう。

海猿やブラックジャックによろしくで出版社に対して原稿料の値上げ交渉の過程などを記事化して自分の電子書籍の販売プラットフォームを提供して、自分の漫画を書き続けている原作者がそうした記事をNoteに書いていたので気になった。

[blogcard url=https://note.mu/shuho_sato/n/n9d6ac4932dd3 title=漫画家の労働問題 content=そもそも漫画を執筆するにはお金がいくら必要なのでしょうか?漫画は最低限、紙とペンがあれば描けます。作家の想像力が勝負。それだけに元手のかからないビジネスと思われがちですが、実際には人件費やら事務所の賃貸費用やら経費がかかります。]

この記事は多かれ少なかれあっていると思う。

でも、なんだか違和感がある。

出版界ってカオスで、電子書籍として様々なプラットフォームで販売をしたりTwitterに漫画を投稿したり、ピクシブでイラスト公開したりしている漫画家の卵の人や漫画家さんもたくさんいる。

この辺りって絵がうまいから漫画家になれるわけではないし、編集さんと作品を作ったといったことで編集の力も作品に寄与している論とかあるだろうし、組織対個人ってかたちになってはじめは知識や経験がないから組織の言うことに唯々諾々と受け入れてしまう。

この佐藤さんの記事って元はインベスターZを書いた三田紀房さんのアシスタントをしていたカクイシシュンスケさんのことから考えたことはうかがえる。

[blogcard url=https://news.yahoo.co.jp/feature/824 title=週休3日、残業禁止、「作画完全外注」――漫画家・三田紀房が「ドラゴン桜2」で挑む働き方改革 content=ビジネス、投資、就活、受験など、社会的なテーマを扱った作品を世に送り出してきた人気漫画家の三田紀房。漫画家になる前に実家である衣料品店の経営にも携わっていた三田は、自身の経験を生かして、面白くてためになる「ビジネス漫画」の新たな地平を開拓し続けてきた。]

[blogcard url=https://kakuishishunsuke.hatenablog.com/entry/2018/01/07/011945 title=三田紀房先生に残業代を請求したことについて content=私は大学卒業後、マンガ家の三田紀房先生のもとでアシスタントをしていました。記録によると平成17年9月5日から平成29年4月27日まで、11年と7カ月です。かなり長いこと働いていました。その間、楽しいこともあったし、いやなことも少しはあったような気がしますが、だいたい平和な11年7カ月であったと思います。]

まあ、ブラック企業とかブラックな職場って言ったりする論が、今は正しくて働き方改革って政府が言ったりして、クリエイティブな職場にもそうしたブラックな体質でなんとかしていく根性論はよろしくない的な意見が趨勢を締めている気がする。

本当にそうなのか?

私としては、やりたければやれば良い、その中でどう成功する方法を自分なりに見つけるかトライした結果については何ら無駄な期間ではなかったように思う。

佐藤さんにしても出版社と戦って自分の納得のいかないことを是正して自分の作品を守ったというスタンスもある。

しかし、その結果、勝手に出版社が許可を出して作られたドラマや映画といった作品は見ることは出来なくなったという原作者の暴力というものを行使したわけだ。

確かにクリエイティブな創作の世界では一番始めに取り組んで世に出した人が一番権利を持っていて強い発言力を持つべきだろう。

でも、それで作品がマルチメディアで展開されず知る機会を奪うことで、失ってしまう売り上げというものもある。

言ってしまうと2次創作を規制しているのと同じで、人というものは色々な場所にとどまっており作品を色々な場所に展開して様々な形で提供することで知る機会を提供しているわけで、マルチメディアで様々な露出をすることで知る機会を提供することが出来ている。

この機会を奪うと、自分の庭先で育てたハーブをその道の前に通る人ただけに売ることになるので、そうなると機会損失の方が多いわけで、売れない作品となってしまう。

それは残念な話となってしまい、ファンがいて買ってくれるというスキームが必要な漫画などの場合は苦しくなってしまう様な気がする。

三田さんを訴えると言っているアシスタントの論

三田さんが正論に乗っかりそうしたことを訴えていることを受けて、自分はその待遇を過去受けていなかったと言うことで労働問題として訴えるようだけど、正規社員として雇用されていたのだろうか?

どんな会社でも実は労働契約というものが有り、そのテンプレートは決められているので、先に紹介した佐藤さんの一人の漫画家の職場でアシスタントを雇用してみるとこんな金額になるという話は間違ってないし、アニメの職場では実際に、そうした金額では無理だから請負というかたちにして職場を提供していることになっている。

問題はあるだろうけど、法人として会社を運営して社員を雇用して仕事を永続的に続けていくには、そのネタであるビジネスモデルというものが永続性があり、社会に変革をもたらして変えて行く事の出来る種というものがなくてはならない。

でなければ、社会にも認知されないし、求められてもいないことで、そのビジネスモデルは失敗してしまう。

この三田さんを訴えているカクイシシュンスケさんの言っていることは、自分の契約がどうなっているのかを認識せずに働いていて、後から、あれはおかしかったと訴えるかたちになってしまうので、それはハッキリ言って日本では受け入れられない論ではかなろうか?

法律などの問題もあるし労働契約の問題もあるわけで、正社員だったのか?と言う事も問題だ。

そうした点が語られてないからなんとも言えないけど、カクイシシュンスケさんの記事を見ると、三田さんの記事を見て三田さんの今の考えに対して過去はそうではなかったと言っていることになってしまう。

これから、こうしたいこう改革したいという思いを、過去からそれはおかしいというのは情緒論であって、過去受けた酷い仕打ちを反省しろ~と言っているようで、気色が悪い。

そう思ってしまうのは私だけなのかな?

漫画もラノベも売れなくて困っているのは作品数が多いからという面もある

漫画が元ネタで、ラノベになってアニメ化されたり映画化されたり実写化されたりするのは当たり前になっている。

それはヒットした元ネタを様々な形態にして、その世界観を使い倒すというだけの魅力がその作品にはあるからだ。

漫画のヒットで、その漫画の1巻が4万5000部売れている作品は全体の上位10%以下と佐藤さんも語っているとおり、アニメ化されたりラノベ化されたりラノベが漫画化されたり実写化されたりするのもかなりまれな例。

ビジネスというものはそういったもので、個人の発想する世界が、多くの人々に受け入れられて多くの人に読まれるべきものになっていく作品はさらにはもっと低いだろう。

でも、私はそれでいいと思う。

だって、アイドルにせよ声優にせよ、ビジネスにせよ成功して10年残ることの出来る人は数万人に一人なわけだし、そうした人が本来的にはもっとギャラを得て多くの人気を得るべきだ。

見る人は新陳代謝もあるし、ビックヒットになる作品も出てくるし、エヴァのように社会現象になる作品もある。

実は、そうしたものをまとめて世界観を共有して一つの作品にシュリンクさせたりするの例がアメリカではある。

それがマーベルだったりDCだったりする。

あれは出版と作品を作る会社だし、世界観の中で様々なキャラクターベースの作品を生み出しているわけで、そうした作品が世界配給される実写の映画になっていて、ある種、産業にもなっていてグッズだったりスピンオフ作品だったりが作られている。

始まりが映画であったスターウォーズだってそうだし、一つの知財を利用して広めていくことで多くの人に触れてもらいさらに世界が広がって行くというモデルとしては大いに参考になるのではないだろうか?

日本で、そうしたかたちにユニバースを作りつつあるのは、ガンダムなどやポケモンなどもそうだし、妖怪ウォッチもそうだ。

しかし、私がやはり注目したいのはFateシリーズだろう。

Fateは元はエロゲームとしてスタートして、それがコンシューマゲームになってアニメ化されて、ゲーム化も様々な形でスピンオフ化して、ソーシャルゲームで花開いたという感じを受ける。

角川のコンテンツという気もしていて、漫画やノベライズもされていることで出版としても寄与しているし、ライツとしてグッズ化もされていることで、宗教観のない日本でこそ花開いた世界って感じを受けるわけだ。

個人としては、こうした宗教観に縛られないで世界のコンテンツを取り込んでリメイクしてどれが強いといったことやキャラクターベースのストーリーを作りやすい作品のかたちも秘めている。

ある意味、きちんとこのFateという作品のライツを管理してコントロールする会社で、ユニバースとして作品を供給していくかたちにしていけば、多様性を享受しつつ広く深く広がって行く作品にもなり得る。

こうした世界を作ることで何がメリットになるかと言えば、VRとARを統合したMRの世界になってくれることで日常でふれることのあるコンテンツになっていくと、タレントとして個人が広告をするよりもキャラクターとして広告をする方が訴求力が増す可能性は高いわけで、現実世界が変わっていくことに対応するためには、旧態依然としたビジネスモデルを如何に脱却して広まっていくコンテンツにすることができるかが大事になってくる。

仮想空間でのコンテンツと現実にリアルにふれあうコンテンツとして、存在することで現実の価値が高まるわけでその経過をストーリーとして伝えるメディアというものの役割も高まってくる。

仮想世界などの構築にも、なんでも自由という雑多なモデルで作るよりもはじめから世界観を提供して世界を広めて行くことの出来るコンテンツというものが価値があるので、バブル化させないように世界を作るのは作品のもつ力というものが必要になる。

そのためには、様々な失敗モデルの上に立つことの出来る残った1%というものが大事なのではないだろうか?

上記で上げている、タレントや芸人、声優、アイドルもそうだし漫画家や小説家もそうだ、それはビジネスでもYoutuberでも同じなので、世界の富を1%の人が持っていると言われるが実態としては、その富だって流動性がある。

ビットコインなどの仮想通貨も同じであるわけで、ニーズとマーケットをどう作り出して効率化をはかり様々人の支持を受けることができるかが大事であって、何を支持して使うのかという「行動」で初めて価値が生まれる訳なので仮想通貨も政府運営コインなども出てくるのだろうから信用も増していくんだろうな。

話があっちこっちに行っている様に見えるけど、辞めろと言う人は実は既に自分のこのマーケットやビジネスモデルを守ろうとしてる既得権益者であって、それを打ち破るのは後から始める新人にしか出来ない。

そうしたチャレンジャーが生まれなくなる世界という方が私は恐ろしい世界だと思うから、チャレンジをしていけと言いたい。

それが失敗しかしていない人間からの発想なんだよな。



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